「同じ町に住んどるのに、挨拶出来んのは寂しいよな。おはようございますとか、こんにちはって、何で言えんのかな……。今の神山町はふたつにぱっくり割れとる。このままだと神山町が神山町でなくなっていくんよ。それって悲しいやん。」

神山町で生まれ育ち、一度地元を離れたものの、「やっぱり地元がえぇやん?」と、一年半前に神山町の「株式会社プラットイーズ」に就職先を見つけて戻ってきたのだと言う広岡早紀子(ひろおかさきこ)さん。彼女の眼に神山町の今はどう映っているのか? そして、神山町が進むべき道とは? 一人の女性が内側から見た、神山町のお話を聞きました。

神山町が好きだから、戻って来れて嬉しいんよ

徳島県神山町

私が何をやっとるか? そうね、今は「株式会社プラットイーズ」を離れて、「株式会社神山神領」って会社で働いています。「WEEK Kamiyama」という名前の宿を運営する予定。

なんでこの町に帰ってきたかって? 神山町が好きだからよ。地元って落ち着くやん。みんなそうじゃないのかな?

神山町で生まれ育って、高校、大学時代を徳島市内で過ごしました。就職する時、神山町に戻ってきたいなと思ったけれど、その時は就職先が見つからなくて……。数年徳島市内で働いたけど、一年半くらい前かな? 今の会社の社員募集のお知らせを見つけて、それで採用試験を受けました。

戻って来られて本当に良かった。サテライトオフィスには感謝してます。やっぱ地元がええよ。家族はみんな仲が良いですし、友達もおります。今? 楽しいですよ。

この町は今ふたつに分かれている

徳島県神山町

でもなぁ。この町は今ふたつに分かれとる。ぱっくり。レイヤーが違うとかって言い方になるんかな。交じってないのが、すごく寂しい。

とても個人的な話だけど、私、15歳の時に初めて徳島市内に出た時、周りの人と挨拶出来んかったのがめっちゃ寂しかったんよ。何で?って思って。おはようございますとか、こんにちはって挨拶するのって普通やと思ってた。神山町では当たり前やったのに、都会はやっぱり違うんかなって……。

でも、そこが好きだったはずなのに、今の神山町はそれが少なくなってきてるんちゃうかなって感じてるんよ。同じ町の人のはずなのに、知らん人がたくさんおる。私は性格的に誰にでも話しかけてしまうタイプやから、それはそれで解決できるからええけど、これは町全体としての問題やと思う。

私の地元の友達も、神山に帰ってきたいって人たくさんおるよ。でも正直「帰って来づらい」って言っとる。「知らん人多いし」って。就職先も無いしな。現実的に雇用が無いってのは理解出来るけど、気持ちの面で駄目やったら……それってどうなんかな。

メディアに出てるのはほんの一部

徳島県神山町

メディアで「神山町では夜な夜な宴会が行われている云々」って記事が多く出てるのは知っています。もちろんそれも一つの事実だけれど、神山町って広いんですよ。移住者の人と、地元と、サテライトオフィスとかグリーンバレーの人が混ざってない。それぞれが知っている人を呼び合うだけで……。

そりゃ、私も神山塾生の方とか移住されてきた町の方、知らないわけじゃないですよ。知りたかったら自分から挨拶すればいいんだし、さっきも言ったように実際にそうしているし。でも、そうじゃなくて、もっと根本的に、この町にはレイヤーが多すぎるって話で。

このままだと、神山町が神山町でなくなってしまう

徳島県神山町

最近、おばあちゃん世代の人が言うんですよ。移住者の人が増えて、町に若い人が増えたことを「孫が増えたみたいで嬉しい」って。でも、「それってどうなん?」と個人的には思っていて。

やっぱり、自分の孫が帰ってきてくれたら一番嬉しいんちゃうかな、みんな。

これは、神山町だけじゃなくて、日本の田舎全部に言えることなんかもしれんけど、今のことだけじゃなくて、町のこれからのことを考える人がいるべきやな。

ただ人口を増やしたいだけなんか、それとも地元の人に帰ってきて欲しいのか。私個人としては、神山町はこのままいくと、神山町でなくなってしまうと思ってる。

今、神山町はメディアにたくさん出て、ITの町としてはもちろん、移住の成功例みたいな感じで盛り上がってるように見えるけれど、近い未来必ずその盛り上がりが冷める時代が来る。その時にどうするか。それを考えるべきなんは、今神山町を引っ張っている方々だけではなくて、次の世代、若い人たちなんと違うかなぁ……。

移住者って転校生みたいなもんちゃう

そもそも、移住者って呼び方って何なんでしょうね。私が東京に行ったら、私もそう呼ばれるんかな?

……多分違うよね。田舎だから、そう呼ばれてしまうことがあるだけで。「引っ越してきた人」とか、まぁ他に呼びようはあると思うんけど、結局は移住者って転校生みたいなもんちゃう?

おばあちゃんとかおじいちゃん、高齢者の方々は、町の外から来た知らん若い子が増えて、その子たちと交わらんかったらそりゃ「移住者」って言うかもな。でも、もし孫世代の私とかが仲良くしとったら、「あぁ、友達出来たんか、楽しそうでええなぁ。」って言わんかなぁ?

今は、転校生が来ても全然喋らんような状態なんよ。それって悲しいし、寂しいよな。違和感めっちゃあるし。

一回一緒にごはん食べに行ったりすれば次から「おはよう。こないだは楽しかったね」って会話が始まるのに、今はその機会すら無い。だから、私は地元と外から来た人の距離感をどうにか縮める役割を担いたいって思っとるんよ。

神山町に人が増えたのは、とっても嬉しい

徳島県神山町

移住者の人が来なければ良かった? そんなん思うわけないやろ。地元の人だけにこの町に帰ってきて欲しいなんて、これっぽっちも思っとらんよ。この町に人が増えたんは、とにかくめっちゃ嬉しい。

私がこの町で一番好きなお店は「Yusan Pizza」(ユサンピザ)。あそこのピザは美味しいよ。そこも外から来た人……転校生やな(笑)。その人らが作ってくれたお店やし、それまでこの町にピザ屋さんなんて無かったんよ。「Café on y va」(カフェオニヴァ)だってそう。人が集まれる場所が出来たりするんはほんと嬉しいことよ。同窓会とかランチとか、友達が来た時に集まる場として、私もよく利用させてもらってます。

ただ、何度も言うように、外から神山町に来た転校生と、もとからこの土地にいる人がもっと交わればいいのになって思う。神山町は広いから、メディアに出ている部分が全部なわけじゃないんだよって。そう思ってるし、その交わっていないという部分をまずどうにかしたいなって、純粋に思っとるんよ。

なんでって? その方が絶対楽しいに決まってるやん。神山町はずっと神山町であって欲しいしね。

「神山町に戻ってくる」という選択肢を作りたい

徳島県神山町

私は運良く、大好きな神山町で働くっていう環境を手に入れることが出来ました。今も地元に戻りたいって友達や先輩はたくさんいるけれど、やっぱり希望者に対しての雇用が少ない。

雇用が無ければ、戻ってくることは現実的には難しいですよね。私は、この町で働く神山町出身の者として、地元の人が帰って来やすいように下準備をしたいんです。

最初は簡単なことで良いと思うんです。地元の人と、転校生の人が交わる飲み会やイベントをするだけでも良いと思ってる。あ、今それだけ? って思いました? そうなんですよ、神山町には今それだけのことも出来ていない現実があるんよなぁ。

それがさっき言った挨拶が出来る町作りということに繋がっていけばいいなと思っているし、あとは実際の雇用が増えるように働きかけるっていうこともそうやな。

知らん人がいっぱいいるから帰ってきづらいんやろ?だったらそこが交わらんと、何も始まらん。この町がこの町でなくなってしまう前に、私がやれることをやりたいなって、そう思っとるんよ。

だって、この状況は何かおかしいもの。

私が特別なわけじゃない

なんか、生意気なことをたくさん言ったような気がするなぁ。でも、今まで言ってきたことが本当に素直な気持ちなんですよ。私が特別なわけじゃなくて、これって別に誰でもできること。でも今誰もやっていないから、私がやろうって話。

理由? だーかーら、神山町が好きだからよ。みんな自分の地元って好きなんじゃないのかな? 好きだから、この町がこの町であり続けて欲しいって思うのは普通なんじゃないかな。

そんな感じ。もうえぇ? 明日も仕事なんよ。……え? 私の写真? ……いやよぅ。恥ずかしいゃん。私の好きな神山町の写真だけ使って下さいな。

今度また、近くに来たら絶対に寄ってや。一緒にお酒でも飲みに行こうね。

お話を伺った人

広岡 早紀子(ひろおか さきこ)
株式会社神山神領「WEEK」立ち上げスタッフ。神山生まれ神山育ち神山っ娘だよ♪ モットーは「ありの~ままの~神山見せるのよ~」。

「広岡さんへの手紙」はこちら(【島根県海士町】特集より)

・参考:【島根県海士町】この島がこの島であり続けていくために – 観光協会 青山敦士 –

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